奈良晒と越後縮の糸

原料・苧麻の繊維から見る奈良晒と越後縮
吉田真一郎

 はじめてその裂(きれ)を手にしたときの感じは、今となっては思い出せない。何かを思ってその裂に近づいたのかもしれない。それは小さな縞木綿だった。色に引かれたのだったろうか。今もときどき取り出して眺める。 
 だが、そのうち「糸」に目がいくようになった。ルーペで覗くと、極細の木綿糸である。17、8世紀に日本へ渡ってきたインド産の縞木綿、経緯双糸(たてよこそうし)引き揃えの唐桟(とうざん)で、1本の糸の細さは驚異的であり、毛羽立ちは微塵もない。江戸期の国産の縞木綿には見られない手触り、糸の細さである。
 その中で、最も興味を引かれたのが、東北産という地域も品種も同じ苧麻を用いる越後縮と奈良晒である。それぞれが繊維質の違いを発見し、それを生かした布作りをしているのである。
 奈良晒は、慶長16年(1601)、徳川家康の保護政策により、尺幅検査を終えた布端に「南都改」の朱印を押して商品生産されるようになり、享保頃(1716〜36)までは年間に30〜40万疋の生産高を誇っていた。享保17年(1732)に出版された『万金産業袋(ばんきんすぎわいぶくろ)』にも、「麻の最上といふは南都也」と記されている。やがて各地の苧麻布、大麻布の産地に押されて衰退へ向かうが、その原因のひとつに越後縮の存在があったとされる。

 越後では室町時代に越後青苧座(あおそざ)が設けられ、三条西家を本所として青苧の販売を独占していた。その後、越後の上杉氏の会津、米沢への転封によって、東北での青苧の生産が盛んになっていった。奈良晒の原料の青苧は、この東北から移入されていたのである。
 一方越後でも、寛文年間(1661〜73)に、それまでの越後白布に改良を加え、緯糸に強撚糸を織り込む縮布を作りだした。
 この越後縮も、奈良晒と同じく、米沢、最上、会津など東北地方の青苧を原料としていたのである。
 ここでは、同じ東北の苧麻を用いる越後縮と奈良晒の繊維質の特徴や違いを、繊維検査を通して明らかにしてみたい。

水浅葱麻地木目文様火事装束


朱印部分

花浅葱麻地覆

布地拡大
●糸の断面・側面を比較する●奈良晒の繊維●奈良晒の拡大●越後縮みの繊維